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| 八幡神社石鳥居・小立石鳥居(山形市)〜平安後期の宗教文化を反映〜 |
お墓の耐久性について石材店の人がよく「花崗岩は吸水率が低く、風化しにくいので100年以上持ちます」などと説明するが、100年どころではない。山形市にある日本最古の石鳥居は凝灰岩で、900年近く風雪に耐えているのだ。当然、花崗岩であれば(継承者が完全に途絶えて無縁化、撤去されない限り)楽々と1000年以上は残るだろう。そこで今回は昭和27年に国重要文化財に指定された、この2基の石鳥居を紹介することにしよう。
―日本最古の石鳥居
ひとつは「八幡神社石鳥居」(写真・上)。山形市街の南約5キロメートル、蔵王成沢にある。総高437センチメートル。高さに対して柱間が広く、各部の割出しも太いため安定感のあるどっしりした印象を受ける。柱は直径99センチメートル直立円柱で、脚部に大きい石コブが付いている。今はむき出しだが、もとはコブの半分まで地中に埋まっていたとされる。笠木・島木は1つ石作り。笠木は上にシノギ が付くが両端に反りはなく、島木の両端はやや角張った舟肘木の様なデザインでゆるい反りを持たせてある。この地区に残る古い文献に「是ハ天仁2年(1109年)ニ立申候処、宝暦6年造、643年ニ当ル」とあり、平安時代後期に造立された日本最古の石鳥居とされる。本来は東方の龍山(西蔵王)、すなわち当時この地で仏教文化の中心であった霊山寺に面して建立されていたようだ。
もうひとつが「小立石鳥居」(写真・中)。山形市内の南約3q、鳥居が丘にある。国道112号線から狭い路地に入った住宅密集地にあるので、ちょっと分かりづらいかも知れない。以前この周辺が元木という部落だったことから、古来より「元木の石鳥居」と呼ばれ、最上三鳥居のひとつに数えられてきた。総高351センチメートル。柱の直径が左右で異なり、左が97センチメートル、右は92センチメートル。柱の下にはそれぞれ円形の礎石が設置されている。笠木・島木はいずれも1つ石で、島木の両端はやはり舟肘木様に作られている。貫は柱を貫通しないで、両側から穴を掘って差し込んであ る。八幡神社石鳥居と共通点が多いことから、同時期の建立と推定されている。
―石鳥居が誕生した背景とは
さて平安時代の石造芸術はどのような背景から生まれたのだろう。平安時代の前期(784〜897)はそれ以前の奈良仏教に対し、平安京を本拠として伝教大師最澄の天台宗と弘法大師空海の真言宗が起り、それぞれ台密・東密と呼ばれていた。天台の比叡山、真言の高野山に象徴されるように、これら密教は山岳仏教的であることから修験道と結びついて、それが全国の山岳名山に波及したとされる。そして密教系の教えを色濃く反映した石造物が平安時代の後期(898〜11855)に多く作られた。宝塔、多宝塔、五輪塔の原型が出現し、笠塔婆や自然石塔婆も現われた。この時代の石造物は仏寺に必要なものや本尊的なもので、上級の僧侶や中央の貴族、地方の土豪等の作善として行なわれたという背景があった。2つの石鳥居もこの時代のものであるから、同様の理由で建立されたのだろう。
―もしかして芭蕉もここに…
そういえば山形市内北東部に通称「山寺」と呼ばれる宝珠山立石寺がある。貞観2年(860年)慈覚大師が開山した比叡山延暦寺の別院で、俳人松尾芭蕉が「閑かさや岩にしみ入る蝉の声」(奥の細道)を詠んだ寺として知られる。東 北第一の天台宗霊山だ。そして県北の庄内地区には出羽三山(月山・羽黒山・湯殿山の総称)がある。推古元年(592年)第32代崇峻天皇の蜂子皇子が開山、平安時代中期以降、神仏混合の独特の山岳修験集団によって栄えた全国屈指の霊場だ(ちなみに芭蕉は出羽三山にも足を運んだ)。この2つがいずれも山形県にあることを考えれば、日本最古の石鳥居が今なお現存する理由もなんとなく頷けるような気がする。もしかしたら芭蕉もこの石鳥居をくぐったかも知れない…。そんな想像を抱かせる趣深い鳥居であった。 |
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