荒七酒店(茨城県)
日本民藝館(東京都)
旧青山沈でん池(神奈川県)
ビアレストラン「クラストン」(岩手県)
酒船石遺跡(奈良県)
満濃池樋門(香川県)
大猷院廟奥の院(栃木県)
大阪府立中之島図書館(大阪府)
日本銀行本館(「旧館本館、東京都)
蜂須賀家万年山墓域(徳島県)
霊台橋(熊本県)
八幡神社石鳥居ほか(山形県)
大谷磨崖仏(栃木県)
仙台東照宮(宮城県)
阿弥陀三尊石仏ほか(京都府)
仏足石、仏足跡歌碑(奈良県)
保月六面石幢(岡山県)
日生京都三条ビル旧棟(京都府)
旧二本松藩戒石銘碑(福島県)
山王廃寺塔心柱根巻石(群馬県)
岩戸寺宝塔(大分県)
山王廃寺塔心柱根巻石 (群馬県前橋市)

―古代寺院の存在を示す根巻石

場所は畑が所々に残る前橋市郊外。大正十年(1921)、この長閑な住宅街にある日枝神社の境内から、古代寺院のものとされる塔心礎が見つかった。塔心礎は塔の中心部に置く礎石であり、その後、周辺部から石製鴟尾や緑釉水差し、お椀、皿などが次々と発見されたことから、ここが白鳳期(七世紀末)に存在したであろう寺院跡という結論に至った。重文の根巻石(輝石安山岩)は同地から約100メートル東の地点で井戸枠に使用されていたもので、正確な出土位置は特定されていないが、この塔心礎の飾りに使われていたのではないかと推測されている。

根巻石は唐風建築の基部に巻き付ける装飾で、わが国では大変珍しいもの。山王廃寺のものは七枚の蓮弁からなり、中心部に直径九六・五pの穴が設けてある。バランスのとれた美しいフォルムで、当時としては極めて高度な技術で作られたことがよく分かる。所在を示す名称に「山王廃寺跡」とあるのは、同社が天台宗の守護神として勧進する近江国日吉神(天王権現)に由来している。

この根巻石の横に無造作に置いてあるのが石製の鴟尾(角閃石安山岩)である。鴟尾は中国伝来の架空の動物で、火に遭うと水を吹いて雨を降らすという伝説があり、古代より防火上の呪いとして大棟の両端に取り付けられた。現代の鯱や鬼瓦はこれが後世に変化したものである。奈良県の唐招提寺金堂のものは陶製で、石製のものは少なく、ここ山王廃寺のものと鳥取県の伯耆大寺廃寺のものしかない。

―スケールは意外と大きい?

写真の図は七次にわたる発掘調査を元に、前橋市教育委員会が作成した山王廃寺主要伽藍の推定復元図である。東側(右側)にある五重塔の基壇は一辺が14メートル。その西側約12メートル離れた場所にあるのが金堂だ。この塔基壇と金堂基壇の中間から「放光寺」と書かれたヘラ書き瓦が発見されており、ここが「山ノ上碑」(高崎市)と「上野国交換実録帳」に見られる放光寺とも考えられている。中門と回廊、そして北側の僧坊と講堂はいずれも推定で描いたものであるが、先の石製鴟尾が高さ1メートル、重さが約1トンあることからも、かつて存在したであろう山王廃寺がいかに壮大であったか想像できるだろう。

なお、近隣の個人宅から同じ大きさ・重量の石製鴟尾(輝石安山岩)が発見されているが、2つの石質や細工に相違点があることから、これらを一対としないという見解もある。

―東国で古代史に出会えるお勧めスポット

 古代の石造物として全国的に知られるのは、数多くの遺構や遺物を残す奈良県飛鳥地方が最も有名で、他には滋賀の石塔寺三重塔(奈良前期)や兵庫の古法華石仏龕(同)、大阪の鹿谷寺跡十三重塔(奈良後期)など西日本が圧倒的に多い。東日本では群馬の多胡碑(奈良後期)が挙げられるが、ここに紹介した根巻石も同じ県内にあることはとても興味深い。

当然ながら、これら石造物は1000年以上前の日本のようすを知る重要な手掛かりとなる。それを分析することで我々日本人の当時の暮らしぶりを垣間見ることができるのだ。その材料に石材が選ばれたのは、耐久性はもちろん、自分たちの思いを石造物に託し、後世に残したいという強い願望があったからだろう。まさしくご先祖様が未来の人々に宛てたメッセージなのだ。


(写真=本堂脇の境内には元禄8年(1695)の銘がある庚申塔など古い石造物が18基並んでいる)