荒七酒店(茨城県)
日本民藝館(東京都)
旧青山沈でん池(神奈川県)
ビアレストラン「クラストン」(岩手県)
酒船石遺跡(奈良県)
満濃池樋門(香川県)
大猷院廟奥の院(栃木県)
大阪府立中之島図書館(大阪府)
日本銀行本館(「旧館本館、東京都)
蜂須賀家万年山墓域(徳島県)
霊台橋(熊本県)
八幡神社石鳥居ほか(山形県)
大谷磨崖仏(栃木県)
仙台東照宮(宮城県)
阿弥陀三尊石仏ほか(京都府)
仏足石、仏足跡歌碑(奈良県)
保月六面石幢(岡山県)
日生京都三条ビル旧棟(京都府)
旧二本松藩戒石銘碑(福島県)
山王廃寺塔心柱根巻石(群馬県)
岩戸寺宝塔(大分県)
満濃池樋門(香川県満濃町)〜“溜池の王”が伝える労苦の歳月〜

香川県には現在、約14,800もの溜池が存在している。その殆どが農業用溜池として、古くから人々の生活を支えてきた。瀬戸内海地方でもとりわけ雨が少なく、また海と山に挟まれるようにして狭く広がる讃岐平野では、せっかくの雨水もすぐに瀬戸内海へと流れ去ってしまい、農業用水の確保が極めて難しい問題だった。その必然性から多くの溜池が生れた。

中でも、今回紹介する満濃池は貯水量1540万トン、満水面積138.5ヘクタールと、正真証明日本一の大型溜池で、『溜池の王』の異名を持つほどだ。ここの水は狭く短い渓谷を流れ落ちて丸亀平野を潤し、瀬戸内海へ注いでいる。

今から約1300年前、つまり文武天皇の大宝年間(701〜703)に満濃池構築の記録が初めて残されている。すでにそれ以前から池が造られていたようだが、この時は貯水量を増すための嵩(堤防)上げが行なわれたようだ。

しかし、堤防が高くなればそれだけ水量が増し、堤にかかる水の圧力は強くなる。当時の土木技術で水圧と堤防構造の関係を解決できるわけはなく、大雨になれば堤防は住民の願いむなしく度々決壊し、悲惨な洪水災害を何度ももたらした。満濃池の歴史は堤防の決壊と修築の記録、すなわち人々の生死をかけた闘いの記録でもある。

さて、讃岐の国出身の歴史上の人物と言えば真言密教の祖、空海(弘法大師)が有名。この空海も満濃池改修工事の指揮をとっている(弘仁12年、821)。土木知識に長けた空海はアーチ型堤防や余水吐、水たたきなどの画期的で効果的な偉業を残している。

 それでも満濃池は決壊を繰返し、ついに元暦元年(1184)5月の決壊では修復されず、寛永5年(1628)の再築まで「池内村」と呼ばれる集落になった。

満濃池が現在のように本当の意味で人々の生活に馴染めたのは明治3年の改修工事後ではないだろうか。池内の水量を調節する、最も重要な部位である底樋管(配水道のこと。ゆる=竪樋・底樋・櫓=取水施設から樋門までの管)に従来の木材にかわり、石材(資料に地元の花崗岩とある。庵治石と思われる)を用いたことによる効果が最も大きいと言われる。

その後は決壊もなく、何度か改修工事を行ない現在に至っている。満々と水をたたえる静かな満濃池を見ていると、延延と繰返された人々の労苦が静かに伝わる。

さて、肝心の石造文化財であった。現在、水はゆるではなく、配水塔で取水され底樋管を通って、樋門で外に出る。その樋門が石造で、文化財に登録された。

◎満濃池=香川県仲多度郡満濃町大字神野字神野山45−4