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| 「阿弥陀三尊石仏」(石像寺)「紫式部供養塔」(引接寺)〜国指定石造物の宝庫 その1〜 |
―国指定石造物の宝庫なり
国宝・重要文化財・国史跡といった国指定の貴重な石造物を最も多く抱える都道府県…それが京都。『石仏と石塔』(山川出版社)の巻末一覧によると、京都には42カ所(件数はそれ以上)が紹介されていた。2位が奈良で36カ所、3位が滋賀県で31カ所、そして大分(20カ所)、神奈川・沖縄(各16カ所)と続く。かつて政治・経済の中心地として京都が長く栄えたことを考えれば、これは当然の結果といえるだろう。その全てをここで紹介することはできないが、今回は手始めとして二つの石造物を取り上げよう。
―容姿はっきり見えずとも…
まずは「釘抜き地蔵」の通称で知られる石像寺(京都・上京区、開創八819年)。この呼び名は、その昔(室町後期)、両手に原因不明の痛みを訴えた商人がいて、夢に現われた地蔵によってその原因(前世の怨恨)が分かり、翌朝には不思議と痛みが治まり、近くの石像寺に駆け込むと、朱に染まった2本の八寸釘(夢で見た恨み釘)が尊像の前に置いてあったという話に由来する。ここの地蔵堂の裏手に石仏堂があり、その中に花崗岩で作られた「阿弥陀三尊石仏」(重文)がある。一尊を光背から台座(敷茄子のある二重の蓮座)まで一石で切り出した石像としては全国で最も古い年号(元仁元年=1224年の在銘)をもつ像とされている。
この石仏が今でも数多くの信仰を集めていることは一目瞭然だ。周辺はまるで火事のようにお香の煙がモクモクと立ち込め、石仏の顔が煤で真っ黒になっている。お堂は暗いし、煙はモクモクだし、はっきり言ってその顔立ちは今ひとつよく分からない。フラッシュで撮影して後になって判明したのが上の写真で、主尊は定印の阿弥陀座像(ただし両手先が欠損)で、向って 右の脇侍は左手に蓮華をもつ観音様、左は合掌する勢至立像である。いずれも頭光身光から像を厚肉彫りし、光背に月輪を配し、その中に仏像を示す種子が陰刻されている。主尊背面の銘文によると制作日数がおよそ4カ月であったことが分かっている。
―えんま堂にある紫式部の供養塔
もう一つは、この石像寺と同じ千本通沿いで、同寺から北に徒歩五分ほどの距離にある引接寺(同・上京区)。ここの本尊は閻魔法王像(鎌倉期、定勢作)で、毎年5月1日から四日まで京都の大念仏狂言のひとつであるえんま堂狂言(花念仏、千本念 仏ともいう)が挙行されることから、通称「千本えんま堂」として知る人も多いようだ。ここの境内の西北隅に、古い時代に紫野白毫院から移設した紫式部の供養塔と呼ばれる高さ約6mの層塔(重文)が建っている。
これも花崗岩でありながら、なかなか凝った造りである。下から順に見ていくと、まず円形の基礎石には14体の地蔵小像が舟形の中に刻まれ、その上の軸部は方形面取りとし、そこに表面を扁平にした四方仏が彫ってある。北が法界阿弥陀で、西に定印阿弥陀、南に弥勒菩薩、そして東に薬師如来が配されている。その上に四隅に面を取った最初の屋根があり、その上には外側だけ面取りした柱を四隅に立て、中に円形の軸部を置き、その三面に鳥居、もう一面に蓮座の月輪を刻み、それぞれに胎蔵界四仏の梵字を彫る。その上に反り返りの強い九つの笠石が重なっている。この珍しい構成については二つの見方があり「九重の塔に裳階屋根を付けたとも、二重の宝塔と十三重の層塔の残欠とを組み合わせた十重 の塔とも」考えられている(同寺栞より)。
―うっかり乗れない京都の市バス
これは余談だが、京都市内で循環バスに乗る人は気を付けたほうがいい。京都では系統番号の200番台が循環バスで、このバスには右回りと左回りがあるのです。これを知らないと、目的地と逆方向に走ったり、遠回りをする羽目になってしまう。実をいうと、記者もその1人。20分で行けるところを一時間以上掛かり、午前中の取材スケジュールがめちゃくちゃになってしまった。それで急遽、この2つの寺院を回ることになったのです。それにしても急に予定を変更できたのも、日本最多の国指定石造物を誇る京都だからこそ可能だったわけですね。
◎石像寺=京都市上京区千本通上立売上る花車町
◎引接寺=京都市上京区千本鞍馬口下る閻魔前町342 | |